臨済宗東福寺派

臥雲山 即宗院(がうんざん そくしゅういん)

沿革
臥雲山即宗院は、薩摩藩(現・鹿児島県)東福寺城の守護大名であった六代目島津氏久(1328-1387)の菩提のため、南北朝元中4年(北朝嘉慶元年=1387)、剛中玄柔和尚(東福寺第五十四世住持)を開基として創建された。院号は氏久の法名「齢岳玄久即宗院」に由来する。永禄12年(1569)に焼失したが、慶長18年(1613)島津家久が再興した。 以来、薩摩藩の畿内菩提所とされ、藩より七十石が施入されるほど深い関係が結ばれてきた。現山門は、再興時のもので、門の左右に安置された仁王像は石造りで、本山塔頭寺院の山門仁王としては稀有な存在である。

宗旨
臨済宗
場所
京都市東山区
駐車場
あり
墓地永代使用料
90万円より(90cm×85cm角以上)
   
   
 
お問い合わせは澤吉までtel:075-561-2802またはメール

臥雲山 即宗院
平安時代後期、関白藤原忠道(近衛家)はこの地に御所の東御堂を建立した。忠道の子、公家九條家の始祖である兼実は、建久7年(1196)に関白を辞して後、自身が別称「月輪殿」と呼ばれたことにちなみ、山荘「月輪殿」とした。本院庭園はその跡地である。大平洋戦争後荒廃したが、玄之和尚が復興に心血を注ぎ、昭和52年に庭園文化研究所森薀博士(元東大教授)等の指導で往時の面影が復元され、京都市史跡に指定された。 室町時代後期の庭園としては類い稀な公家寝殿造系で、鈎の手(「心」)になった池の地割り・瀧の位置など、その往時が偲ばれる。『法然上人絵伝』巻八段五(国宝・知恩院蔵)に描かれ、法然上人が藤原兼実に法話を行った真正なる史跡であり、法然上人に頭光が現われた聖地でもあります。

即宗院墓地
緑豊かな佇まいは、魂の安らぎさえ感じさせてくれます。そして四季折々の木々の彩りが、訪れる人々には心の潤いを、そこで眠る人々には悠久の眠りを、感じられる事でしょう。
 墓地の入り口までお車が横付け出来ます。又、墓地内もバリアフリーで安全です。
 足のご不自由な方や、小さいお子様の居られる方も、安心してお車でお参りできます。  遠方からお参りの方も、JR京都駅八条口よりタクシー12分(約800円前後)で着くことが出来ます。


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東福寺境内より臨む 偃月橋
山門 入口
境内の羅漢像 島津藩士の顕彰碑
緑豊かな落ち着いた墓地 バリアフリーのスロープを完備した墓地

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